全身の脱毛をエステサロンで実施した場合におきましては最低でも5万円以上の費用が必要ブログ:2018/5/29
高校二年の二学期早々に、
ぼくは学習意欲を喪失し、成績不振から登校拒否を起こした。
9時、「行ってきます」と出て、
図書館で一日を過ごし、夕帰った。
不登校四日目、自分なりに考え抜いて退学を決意した。
その21時、お兄ちゃんやおとうとたちが寝静まるのを待ち、
父に言った。
困惑した表情をわずかに見せた父は多くは語らず、
強く叱ることもしなかったが、こう言った。
…いいだろう。
ただし、もう一ヶ月だけ学校に行け。
そして、学校生活に全力で取り組んでみろ。
それでも決意が変わらなければ、退学して家の仕事を手伝うがいい。
ぼくには五人の子供に分けるほどの財産はない。
ただお前たちが勉強したいんなら、
どんなことをしてでも大学に行かせてやろう。
それが、おまえたちに残すことができる財産だ…
一ヶ月後、あの決意をすっかり忘れて、
学校生活にのめり込んでいる私がいた。
この言葉は、
働きながら夜学に通い、
二十六歳で会社を立ち上げ、
叩き上げの商売人だった父が
ぼくに残してくれた遺産だ。
西郷隆盛に、
「児孫のために美田を買はず」という遺訓がある。
「財産を残すと、子孫の精神が安逸に流れやすいからそのようなことはしない」
という戒めである。
父は「児孫のために美田を買えず」であったのだろうが、
鍬だけは買ってやるから、後は自分の力で荒地を切り開き、
田畑を耕せと教えてくれたのだろう。
その鍬のおかげで、
ぼくは今日までともかくも生きてこられたような気がする。
そして、ぼくもまた、相変わらず美田を買えないままに、
使い古したその鍬を二人のムスコに譲り渡した。
今、ムスコたちは、その鍬で汗を掻きながら田畑を耕している。