全身の脱毛をエステサロンで実施した場合におきましては最低でも5万円以上の費用が必要ブログ:2016/2/16
わしの家は一年中、
パパの知らない秘密でいっぱいだった。
母と姉貴とわしは、
クリスマスも誕生日も雛祭りも、
ケーキを囲み歌を歌い写真を撮り、
イベントはきちんと三人で迎えてきた。
わしと母が、
また、姉貴と母が冷戦状態であっても、
パパが家族の出来事に
クチを挟むことは殆どなかった。
仕事やつき合いで
いつも午前様か単身赴任だった生活も、
ようやく落ち着いた頃には、
もうムスメ達は部活や試験や遊びに忙しい学生になっていて、
家族みんなで食卓を囲むこともあまりなくなっていた。
そして就職、独立、結婚…
ますます距離が離れてゆくムスメ達に、
これが一般的なパパとムスメのスタンスだと、
パパの方も割り切っていたのかもしれない。
「ちょっと具合が悪いらしいの」
母から電話を受け実家に行くと、
パパは布団の中から出ようとしなかった…
相変わらずの病院嫌い。
必死の説得で、
やっとのことで病院へ行かせると即入院となり
「ご家族の方は覚悟を決めるように」
という厳しい言葉までいただいた。
千葉の姉貴も呼び戻され、
母は何度も
「好きに生きてきたんだから、いいよね」と言った。
入院した当初、わしがお見舞いに行っても、
パパは全く起きあがる気配すら見せなかった。
病室を出た後は毎回、
これがパパの姿の見納めなのではと不安になった。
そんなパパが、
初めてわしの男の子達を病室に連れて入った瞬間、
電気のスイッチを入れたような輝きを放った。
パパはからだをゆっくりと起こし、
そして短く「おっ」と言った。
昔、新聞を読んでいるパパが顔をあげて、
わしの運んだ晩酌のビールを見つけた時のあの顔だった。
お子さん達との穏やかな空気に包まれて、
何と幸せそうな様子だろう。
もちろん、それからわしの見舞いは必ず「孫持参」となった。